沖縄の空手について

鉛筆 空手の流派について

 沖縄で誕生し発展した空手のことを「沖縄空手」或いは「沖縄伝統空手」と一般的に 呼称し、また日本本土で発達した空手を「日本の空手」或いは単に 「空手」と呼んでいる。「沖縄空手」と「日本の空手」は流派名ではなく、単純に発達した地 域による区別を示す呼称である。

 現在、沖縄空手を代表する主な流派には、しょうりん(小林、少林、松林)流系、剛柔流 (ごうじゅうりゅう )系、上地流 (うえちりゅう) 系、 劉衛流(りゅうえいりゅう )や本部流 (もとぶりゅう) などがある。その他にも、多くの沖縄で発達した空手流派が ある。

 日本の空手を代表する主な流派には、松濤館 (しょうとうかん )、糸東流 (しとうりゅう)、和道流 (わどうりゅう )、極 真 (きょくしん)などがある。

 
【沖縄空手流派について】

 沖縄空手は、琉球王国時代に形成された三つの流派(首理手 (スイディー) 、那覇手( ナ フ ァ テ ゙ ィ ー) 、 泊 手(トゥマイディー)にはじまり、それらをルーツとして、現在のしょうりん流系(小 林 流、少 林 流、松 林流)、剛 柔流系、上地流系の流派を成す。

 <首里手系の特徴>

  首里城を中心とした首里士族の間で発達したものであり、その技の特長は、第一義的に瞬間 的に力を集中し、威力を増すことにある。剣道の打ち込みと相通ずるものがあり、武道の第一 義に、技の速さを求める。

  速さプラス重さが破壊力となり、鍛練による速さで重さを補うまで 修練を積み重ねる。呼吸法は自然体で行う。吸うときは「虚」であり、吐き出しつくす寸前が 「実」である。呼吸法と力の取り方とは関連性があり、攻撃の瞬間に実を当てる。

 呼吸の乱れ が少なく、無駄な筋力の疲労も少なく、力の集中を容易にし、敏捷性と共に攻撃力を充分に発 揮できる。

 <那覇手系の特徴>

  那覇手にある拳法の極意は基本形の三戦(サンチン)の呼吸呑吐にあると言われている。 攻防の際に於ける人体の浮沈、挙止進退、集中力、敏捷性、瞬発力、持久力等が正しい呼吸法 により激しい運動にも対処できる呼吸鍛練法を修得する。

 また、形による技の反復練習により 虚実を計り、骨格筋力の完成を目指す。また、攻防時における敵対動作は一般に防御的であり、 主に接近戦を得意とし、下肢は柔らかく、上体は手技が発達、進んで突き、退いては防ぐとい った特徴をもつ。破壊力強化のため、巻ワラ、チーシー、サーシー、握力カメ等他の補助器具 を使い全身の筋力強化等を行い、各人の心身の鍛練を行なう。

 <泊手系の特徴>

  泊は首里城に近いこともあって、王府は、特に武術に秀でた役人たちを常駐させ、港の警護 等に当たらせた。そのために他流派と異なった、実践に即応した独特な泊手が誕生した。

  泊手 の拳の構え方は、型の種類、名称は首里手と似ているものもあるが、内容や演武線に差異が見 られる。ナイハンチの型については、運歩(歩き方)は、泊手の場合、左から始まる。首里手 は、右から始まる。泊手のナイハンチの立ち方は、首里手に見えるような腰の高い騎馬立ちで はなく、より腰を落としたナイハンチ立ちなどの特徴がある。

  泊手は、腰の使い方に拘りがあって、型などでの移動は、余分に力を入れないことを意識して、呼吸法は自然のままにする。 この自然な立ち方と自然な腰の使い方から威力と身体能力を身に付ける。技のスピード、力強 さと安定感に集中した稽古が行われる。

 <上地流系の特徴>

  上地流空手道は上記の首里手、那覇手、泊手とは異なり、近代において確立した空手の流派 であり、日本の地に根付いて 94 年目を迎えようとしている。沖縄空手道の手(ティー)の歴史的背景と比較するとその史実関係は浅く、若々しい流派と言えるだろう。

  上地流空手道の初源 は、中国福建省を中心として発達した南派小林拳の門派をくむ、パンガイヌン流と呼ばれる拳 法だと伝えられている。肉体を極限まで鍛え上げ、鎧を着込んだかのような体と刃物のよう な拳足を作り上げる。

 多くの技法を閉手(拳)ではなく開手(拳)で行うため、その鍛錬は、 本来ならば、脆弱で鍛錬が困難な手足の指先にまで及ぶ。過酷とも言える鍛錬を経た貫手と繰 り出される貫手や足先蹴りは、足先は鉄線が通ったかのように強靭に鍛え上げられ、あたかも 鋭利な槍のようになる。清代末期の福建に渡り、中国で武術を学んだ上地完文によって創始さ れた上地流は、生身の身体を武器と化す、凄まじいまでの肉体鍛錬が大きな特徴の一つとなっ ている。

  上地流では、型の体得を稽古の中心に据えている。完文が福建から持ち帰った古伝の 型は「三戦」「十三」「三十六」の 3 つであり、この 3 つの型が上地流の型稽古の主軸となっ ている。その後、本格的な指導が始まり、流派として体系化が進められていく過程で、新たに 5 つの型が創出されていった。

  完文の長男で上地流宗家二代目である完英によって「完子和」「十六」「完戦」という 3 つ の型が、完英の高弟として知られ完文にも学んだ糸数盛喜によって「完周」が、さらに完文の 高弟の上原三郎によって「十戦」が、それぞれ上地流の体系を補完する形で創出されていった。 上地流は肉体そのものを武器と化してしまう鍛錬を行う点に特徴がある。

 <その他の沖縄空手の流派>

 沖縄の主要な流派以外に、劉衛流 (りゅうえいりゅう) 、本部流(もとぶりゅう)、本部御殿手流( もとぶうどぅんでぃりゅう) 、湖城流(こじょうりゅう) 、沖縄拳法(おきなわけんぽう)、いしみねりゅう 、一心流(いっしんりゅう)、空真流(くうしんりゅう) 、剛泊会(ごうはくかい)、孝武流(こうぶりゅう)、渡山流(とざんりゅう)、硬軟流 (こうなんりゅう) 、 昭平流(しょうへいりゅう) 、中部少林流(ちゅうぶしょうりんりゅう) 、琉 球 少 林 流(りゅうきゅうしょうりんりゅう) などが存在する。

  なお、近代空手として日本本土で誕生した松濤館(しょうとうかん)、糸東流(しとうりゅう) 、和道流(わどうりゅう) 、極 真( きょくしん) など主な 空手流派に関しても、沖縄空手と流儀はことなるが、武術としての源流が琉球・沖縄にあるこ とは言うまでもない。

  松濤館の創始者であり「近代空手の父」とも呼ばれる船越義珍は沖縄で生まれ、松村宗棍の高弟子の安里安恒と糸洲安恒に空手の師として師事している。

 松濤館流は一般 的に日本本土の流派というふうに理解されているが、船越義珍の教え、沖縄空手の精神性を色濃く受け継いでいる流派であることに留意する必要がある。

  空手の流儀の異なる糸東流、和道 流、極真についても、上述したようにその源流は唐手に辿りつく。

  極真会館の創始者大山倍達は、帰化した朝鮮人で、子供の時から東京で育てられ、 日本が誇る武道家となった人物である。彼は日本の空手に高いプライドを持ちつつも、空手の 源流は沖縄にあることを充分に認識していた。

  大山喜久子(娘)によると「空手の演武を行う ため、沖縄に出張する前に大山はかなり緊張していた。なぜなら、沖縄は空手の本場であって、尊敬する空手達人たちの前で演武をしないといけないからだ」と大山倍達本人が語ってい たという。

  流派とは、ある空手師匠が始めた空手のスタイル、及びそのスタイルを受け継いでいる グループ・組織名などを表示する呼称である。また会派とは、特定の空手流派の中にある、独立した団体名・グループ・集団などを表す呼称である。

  なお、流派と会派、両方の呼び方を 同様に使うグループもあり、それらの区別に重要な意味を含まないこともある。

 
ザハルスキ アンジェイ 氏の論文より