武道と言えば、空手道・剣道・柔道・弓道・合気道……などのことを言います。 そもそも武道とは、武術から "道“になること、つまり稽古を通しての人間形成に 重きを置いてできた言葉であり、空手術から空手道、剣術から剣道、柔術から柔道という 具合に、時代とともに変遷してきました。
ところが近年武道は、競技試合の傾向が強くな り、ルール上の制約から、本来の武術の技は制限され、それに代わって競技試合に有利な 単純な技だけが残りました。それは、技とは言えない内容になっていると言っても過言で はありません。 またその稽古のあり方も、勝敗に重きを置いた相対性の強いものになっており、 今や武道はスポーツと言ったほうが誰の目にも適正に写ると思います。 武術の歴史をひもといた時、武術とは本来自分を護ることにあり、また敵を倒すことに ありました。
しかし、そのような生か死かという場に臨み、またそのような場を何度もくぐ り抜けることによって、武術のあるべき姿は必然的に「戦わずして勝つ」という方向へ導 かれていったと言えます。
そして、そこに「戦わずして勝つ」を裏付ける術技や心のあり 方などの極意が生み出されていったと考えます85。 沖縄で誕生した空手は元々武術であり、それが本土に伝わり、武道に昇華され、空手道と呼 ばれるようになっている。
宇城の考察によると、「空手道」とは、「術」から「道」に昇華し たもの、つまり技術から稽古を通しての人間形成に重きを置いて発展したものが「空手道」で ある。空手道は、空手術から発達したものである。武道の技術的な面は武術であり、それはど の武道においても基礎である。先ずは武術があって、それが昇華して武道になるというのが、 宇城の指摘である。
ザハルスキ アンジェイ 氏の論文より